カテゴリ:日々のこと( 22 )

 

おひっこし

本とか映画とかの感想はこちらにお引越ししました。
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by yebypawkawooo | 2009-12-31 14:30 | 日々のこと  

最近のメモ書き

 私は、ふと思ったことなんかを、携帯にメモする癖があって、つらつらと歩きながらとりとめもない思考を展開させているときなどにつと何かに気づくことは色んな人の経験するところだと思うのだけども、そうした場合、私の中ではもう少し思考を深化させてきちんと形にしたいという欲望が同時に生まれ、そのためには“書く”ということが自分にとっての最善の方法なので、書きながらこの思考のたねを育てていきたいと思うのだけれど、その場で、つまり歩いていたりご飯を食べていたりの時に、“書く”行為を行うことは困難であることが多く、よって、いったん携帯に断片をメモし、あとでブログか何かで文章にしながら突き詰めようと思っているわけだ。

 というわけで、私の携帯にはメモ的な思考の断片が、場当たり的に記録されている。そこまでは良いのだが、それで、それをそのまま忘れてしまうのだからたちが悪い。突き詰めていないのに、考えた事のある気になってしまいがちで、けれど突き詰めていないのだから自分の中で回答が出ていないという矛盾に陥るはめになる。携帯内の小掃除(不必要なメモやデータを消去)していて、そんな忘れられた断片的思考の数々発掘されたので、自己満足的なメモを、あらためてここに残しておこうと思う。(読点で文章をつなげていくと、保坂和志的になるかと思ったが、まったく文章が下手で嫌気がさすな)。


 他人の人生が語られたがっている瞬間がときどき訪れることは私にもある。しかし、うまくいかない。語られたがっている他人の人生が、上滑りしてしまう。土台がきちんとできていないからか。

 自分の人生で表現すべき事柄について、もっと真剣に深く考える必要がある。

 もっと誠実であろうとしよう。自分に対しても、他人に対しても。

 可能性のはなし。おこらなかったことと、おこりえたこと。想像しうることと、想像すらしないこと。今、を生きるということ。ウィルス的なものと、共存していくということ。

 日々の視点の持ち方。書くことを意識すること。

 内面は、やはり外形に反映される!!

 空気のような人になりたい。人には、いろいろな考え方があるんだということを知っていることが重要。

 欲望をコントロールすること。

 戦略的恋愛論について。


 書いていてきづいたが、どの場面でこの断片が生まれたのかということは比較的重要だ。身体性のある思考とか文章というものを目指したいと私は思っていて、ただ頭の中だけで思考を展開させるのではなくてどこでどう感じなんでそう感じ、は身体性からスタートしていたい。というわけで、上記に関してはそのうち、きちんと経験をさかのぼって言語・文章化しよう。
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by yebypawkawooo | 2008-11-04 03:39 | 日々のこと  

平行して複数の可能性を選択していくこと

 今日、通勤途中の電車の中でつらつら考えていたこと。

 やはり、私は現実逃避願望がある。というよりも、知らない世界をもっと見てみたい、という願望が強い。幼少時より転勤を重ねてきたことと関係があるのか無いのか、ひとところにとどまり続ける、という状況は、(あくまで現状の自分の感覚から言うと)将来的にもちょっと考えにくい。
 今、外国に行っている幾人かの友達の近況(ブログとか、mixiの日記とか)を読むと、そしてそこでのエピソードの数々を見ると、私はここで何をしているのだろうか、と思う。もちろん、なんでもない日々の積み重ねというのは何よりも強いし、絶対的なものだとも感じていて、ただそれは、無いものねだり(あるいは自分への言い訳?)なのかもしれない。

 いずれにせよ、ひとつの可能性としての脱出(あるいは一時的な逃避)をつぶしたくは無い。いつでもできるという事は、保険としても機能する(選択肢が無いのは恐ろしい)。

 そのための具体的な行動を、じゃあ私は何かしているのかというと、しようとしてはいるものの、全てが結果的に中途半端で終わっているのは否定できない。もう少し、ストイックに進める必要があるし、実行力をもっとつけなければならない。

 そんなことをつらつらと考えながら、一方で、平行してすすんでいく可能性についても想う。昔は、選択肢をひとつに絞って、それに向けて最短距離一直線でいけるのが一番望ましいのではないかと思い、そうできない自分にもどかしさを感じたりもしていたけれど、そうではなく、複数の将来像へ向けた複数の道を同時に歩んでいくということの面白さを今では感じる。つぶしが利くとかとそういう意味ではなく、全く関係の無い(ベクトルの異なる)物事であっても、あるいは次元の違う話でも、同時並行で進めていく事は可能だし、むしろ今の私そうでありたいと望んでいる。かといって、目指しているのはジェネラリストではなくスペシャリスト。そういう進み方を、もう少し模索したいなぁと、そんなことを考えながら日比谷線にゆられていた。
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by yebypawkawooo | 2008-08-27 10:07 | 日々のこと  

最近の怠惰さについて

7月から、改めて仕事を始めた。
給料はがた減りして、でもその分仕事量が減ったかというとそういうわけでもない。

外資だし、新しい会社だし、まだ人数少ないので、気楽は気楽。自由度が高い。
わたしはそういうほうが向いているので、そこんところはあっている。
自由度が高いという事は、その分自分で色々決めなければならないということで、
でも自分で決められない人生なんて詰まらないと思う。
例えば、この一瞬をどう使うか、というその瞬間瞬間の積み重ねが人生なのであって、
それは仕事のときは違うとか、子供の頃は違うとか、ではない。全てを、無駄にはしたくない。
怠惰に過ごそう、という選択をしたのであればそれは無駄ではないと考える。

選択ということについて最近色々考えている。
可能性についても。

仕事が始まってしまい、現在の私には有給はないので、
海外に行くとか、旅行をするとか、そういうことが出来ていない。
それは割りと苦痛。
起こりえた、けれど切り捨ててしまった選択肢とそれを選んでいたときの可能性について、
後悔ではないけれど、つらつらとBGMのように思考が流れていく。
きちんと考える時間がとれていないのが現状。

それを思うと、これから先の自分の選択と可能性について判断を下すのが怖くなるときもある。
だけど、保守的にというよりも盲目的に選択をしない、というのはやはり間違っていると思う。
あらゆる可能性と起こりえる幾多の自分の人生と、その中から選んでいくという自分の意思を持って、
生きていかなければならないのだと思う。

最近、私は怠惰である。時間がないというのが、たぶん一番の要因。
怠惰というのは、旅行であったり海外への行動であったり、そういう身体的な動きとしての話。
だけど、時間のなさを理由として思考まで怠惰にならないようにしなければならない。
あらゆる可能性と選択の幅と無数の人生を天秤にかける労力は惜しんではいけない。
この一瞬一瞬の選択に対して、意識的でなければならないとも思う。
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by yebypawkawooo | 2008-08-14 09:46 | 日々のこと  

胃が痛い日の、中華料理あれこれ

d0119787_4222490.jpg今日はなんだか、朝から胃が痛かった。

起きぬけにいきなり、カップヌードル(ミルクカレー味)を食べたせいかしらん?いや、確かにこれはきつかった。さらに言えば、私はただのカレー味のほうが好きだった。

いや、そんなことはどうでもよいのです。
今日は、胃の痛さをなかったことにして一日を過ごしたのですから。

なぜなら、今日はお友達と、中華料理を食べ放題しにいく予定が詰まっていたから。
ええ、もちろん食べ過ぎました。その結果、非常に胃が痛い。胃痛が痛い。痛くて寝れない。
もうこんな時間なのに寝れない。だから日本語がおかしくなる。

くやしいから、中華料理の思い出でもしたためておこうかな、と。

1.中国茶館2号館@池袋西口

胃痛の原因。にっくき中国茶館さんです(逆恨みもいいとこ)

こちら、2,500円で食べ放題90分。
食べる時間も入れると、結局2時間くらい居すわった我々。
店を出たのは、もう23時を回ってました。ちなみに24時まで営業してるらしい。

ええっと、食べたのは、

ほうれん草のにんにく炒め、大根もち、ショーロンポー、焼き餃子に水餃子、翡翠餃子にふかひれ餃子、肉まん、牛肉とセロリの炒めもの、鶏唐揚の香味ダレ、クラゲ、マー“ポ”豆腐(誤変換ではない)、あんかけ炒飯、なんたら麺(忘れた)・・・。そいでデザートに、烏龍ゼリー、杏仁豆腐、マンゴープリン。


うん、まぁおいしい。けど、すんごく美味しいわけではなく、普通に庶民的においしい。
着目すべきはむしろおばちゃん。
頼んでないのに、「これおいしいよ~」て勝手に注文してくれる。
その勢いには有無を言わせぬものがある。
ま、食べ放題だしいっか、なんて思ってたら、私みたいに胃が痛くなること請け合いです。

評価ポイントは、
1)中国茶。中国式にきちんと入れてくれる。
2)それから、きちんと注文を受けて作ってくれる。だから出来立てホカホカ。
3)最後におばちゃん。


2.「上海小吃」@新宿歌舞伎町

ここは、断然お勧め。
何がお勧めって、揚げパンがお勧め。
外がカリッ。と思いきや、中がもちもち。もーもちもち。
これをね、アサリの炒めもののお汁につけて食べるんです。うまーです。

何がお勧めって、立地もお勧め。
新宿歌舞伎町は風林会館の近く、細ーい路次を入った奥にあります。
男性だけで訪れるならば、何人もの客引きのお兄さんをすり抜けていかなければなりませぬ。
バスケ選手の如く、うまくドリブルですり抜けてね。

何がお勧めって、お姉さんがお勧め。
かわいんです。キティーちゃんのエプロンしててね。
「これ、きてぃのしゃちょさんにもらったのよ~」なんてニコニコしてるの。
絶対それ社長さんじゃないから。

何がお勧めって、飲み物もお勧め。
ていうか、持ち込み可なわけ。
だから貧乏なそこのあなたは、すぐ近くの酒屋さんで缶ビヤーを調達していきましょう。
あ、酒屋の場所わかんない?大丈夫、お姉さんが教えてくれるから。


3.「黄鶴」@札幌グランドホテル
いきなり飛びました。浪漫と大志と雪まつりの地、札幌です。

ものすっごくお腹すかせといてください。だって、ここも食べ放題なんだもん。
でも、ちょっとだけ奮発してね。ランチに7,000円。・・・。

待って、ひかないで!だってすんごくおいしんですってば。
メニューの一部をご紹介しましょう。
* ・黄鶴伝統の北京ダック
* ・ふかひれの五目入り醤油味煮込み
* ・あわびのクリーム煮込み
* ・なまこの醤油味煮込み
* ・大正海老のチリソース煮
ほら、ほら。この他にもすげくて、全71種類。
全部なんか、なんだか。高級そう!なの。おいしいの。
だからもちろん食べ過ぎるわけ。

うまく歩けないほどお腹に詰め込んで、
吐きそうになりながら胃薬を飲んだ思い出がよみがえる。あぁ、懐かし。

胃が痛いまま日が昇った。
もうこの際だから、一日をこのまま始めようかと思う。アーメン。
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by yebypawkawooo | 2008-05-24 04:45 | 日々のこと  

おいしい魚が食べたい日々

さかなさかなさかな。
おいしい魚三昧、最近のわたくし。
東京にはおいしい魚が集まるという。
初めて聞いたのは、札幌のTQホテルにて。
バイトしてたんです、私。朝食バイト。
そのマネージャさんが、東京出身。
で、彼女、札幌なんかより築地のある東京のほうが魚がおいしい、ってな剛球発言をなさる。
びっくり。だって、天下の北海道なのに。

でも、東京の魚、おいしいね。うん、おいしい。
お勧めのお店を、だからまとめてみました。
お勧めされた店も、含まれまうす。

1.たつや@阿佐ヶ谷
ここはねぇ、最強です。私の中で、いまんとこNo.1。
駅から遠いんです。わかりにくいんです。入り口小汚いんです。
店を開けると、カウンターの中におじさんが一人。彼が、たつやさん。
はにかむ笑顔がかわいんです。
刺身頼むと、魚がまるっと一匹出てくるよ。うまいんです、これが。
頼んでないのに、はんぺん焼いたんとか、シラス干しとか、沖付けとか、どんどん出てくるよ。
お腹いっぱいでもうたべれなくなっても、どんどん出てくるよ。
ウーロン茶たのむと、ペットボトルが出てくるよ。もちろん2リットル。
お会計、安すぎなんです。こんだけ飲んで食べさせて、2,000円はないだろうと。
男の子同伴で行くと、普通に請求されるらしいからお気をつけて。

2.里の宿@吉祥寺

こちらはお昼に行きましょう。お昼の定食を食べに行きましょう。
魚屋さん直営です。そりゃあうまいに決まってます。
ご飯と、お味噌汁と、小鉢2個。それにお魚。お魚は好きなメニューを選べます。
サンマの塩焼きにするか、キンメの煮付けにするか、ブリ照り焼きも捨てがたい。
散々迷いましょう。その日その日でメニューは違うから、ご注意。でもそれがまた、楽しみ。
あのね、そんでこのご飯がおいしんですよう。お米がたってるんです。
よだれが出てきます。
あ、席15席しかないから、休日に行くと大抵並んでます。
会社サボって、平日に行くのが正しい行き方です。
その後は、井の頭公園で本でも読みながらたそがれましょう。
だってせっかくサボったんだから。

3.一隆@三宿

まず、雰囲気がいいよね。畳の奥座敷。
ほら、盆暮れ正月、親戚一同が会して、
じゃちょっと近所の和食やさんでご飯でも、って。そんな感じ。
このお店は広いです。でも、予約しないとたぶん入れない。人気なんです、きっと。
あのね、とにかくね、魚がおいしいのね。そうなのね。
うにがモリモリ盛られてます。素敵。
でも私のお勧めは貝です。貝がすきなんです。貝のお刺身5点盛りでもいっときましょう。

4.五反田でい@五反田
こちらは、ちょっと小洒落とります。
デートなんかに、いいんじゃないすか?
カウンターには、男女ペアしかいませんでしたもん。
メニューまでも小洒落てます。
ほら、和紙っぽい紙に手書き風の墨書き風の筆書き風で、日替わりメニューがでてくるでしょ。
お魚たべたーい、なんて女の子に言われたときには、つれてってあげたらいいと思います。
お酒の種類が豊富だからさ、ほら。梅酒もいっぱいあったよ。
きっと喜んでくれるでしょう。

5.居酒屋 燻し家 もっくん@吉祥寺
あ、えっと。これは、なんていうか、番外編です。
あの、お魚がおいしいって言うか、燻製がおいしいんです。そんでもって、安いんです。
ほっけの燻製とか、ししゃもの燻製とか、おいしんです。いぶされてるんです。
思い出すのは、大学でやった燻製実習。
卵とか、ベーコンとか、ちくわとか、チーズとか、いぶしながらつまみ食いして怒られた。
そんな甘酸っぱい味がします。


そんなわけで、魚な日々。とどほっけむらにいきたい。
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by yebypawkawooo | 2008-05-09 02:02 | 日々のこと  

タバコを吸う異性についての考え方

かつて、私はタバコを吸っていました。今は、吸ってません。
明確にやめたわけではない。けれど、吸いたいという気持ちにならないので吸いません。
自分に(は)正直なんです。


今日、友人と飲んでてタバコの話になった。
その場に居合わせた男の子たちは、皆、嫌煙者。
タバコを吸う女性についてどう思うか、と友人♀のひとりが質問した。
(ここで言う女性とは、無意識の前提として
 “いい関係となるかもしれない人”を皆想定していたと思う)

男性のうちの一人が、答える。いわく、タバコを吸う女性はやはり嫌とのこと。
タバコを吸わない男性で、女性の喫煙を嫌がる人って多い気がする。経験則として。
そしてそういう人に限って、女性に対するほどには男性の喫煙にうるさくない。

だから、私は理由を尋ねたわけです。
なんで女性の喫煙を嫌がるのか、と。個人の自由として認めないのか、と。
自分は吸わないのに、自分の所有物(←あえて) たる女性が吸っているのはみっともないとか、
そういう気持ちがあるのでは?と。内心、若干の勘ぐりを入れつつ。

彼は答えました。

タバコの煙を自分も吸ってしまうのがいやだ。臭いからいやだ。
服ににおいもつくし、周りに迷惑がかかるじゃないか、と。

だったら。と私は聞きました。

だったら、もしも女性が、一人でも嫌煙者がいる席ではタバコは吸わない、と、
そういう配慮をもってして、かつそれを完全に実行し、
それでも個人の楽しみとして喫煙をしている場合はどうなの?それも嫌?

少し考えて、彼は答えました。
それなら、嫌じゃない。そういう配慮をしているのであれば、喫煙者でもいい。

そっか、それならいいのか。つまり、彼は喫煙それ自体が嫌なんじゃなくて、
周りへの配慮の欠如した喫煙の自分勝手さとか、タバコの煙や匂いが嫌だったってこと、よね。

でも、これって一般的にもあてはまるのでしょうか?
つまり、たまにいる「女性の喫煙は嫌だ」と公言する男性。
彼らはみな、件の彼のようであるのだろうか?それとも、彼が特別なの?
男性諸君に聞きたいところです。

ほら、よく女性で喫煙してるのに、男性の前では、
「えー、あたしタバコなんて吸いませんよ~(ハート)」
って言ってる女性いるじゃないですか。
それって、よく見られたい心理がそうするんだろうけど、そこで嘘つく必要ないのかなって。
「え?わたし?タバコは吸うけど、一人の時しか吸わない。
 だって、周りに迷惑かけるのどうかと思うし(アンニュイに)」
のほうが、格好良くない?って思ったのであった。

ちなみに私は、男性の喫煙、いやじゃありません。配慮を欠いた喫煙はいやだけど。
でも「やめたいんだよね」といいつつ吸い続ける人は、みっともないな、とは思いますな。
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by yebypawkawooo | 2008-04-04 03:51 | 日々のこと  

ヨガしながら想う

このあいだ、ヨガしにいきました、荻窪まで。
ヨガって、ちょっとかじったことのある人ならご存じのとおり、いろんな種類があります。

アイアンガーヨガ / ハタヨガ / パワーヨガ / アシュタンガヨガ / ビクラムヨガ / ホットヨガ・・・

まだまだいっぱい。違いはいまいち私にもわからぬ。(こんなのも)

で、私が行っているのはアシュタンガヨガのクラス。
なんだかストイックなところが気に入っています。チャラチャラしてないのよ。

ヨガは、独特の呼吸をしながら順々に決められたポーズをとっていきます。
このポーズってのがさ、見てる分には楽勝そうなんだけど、やってみるとつらいのなんの。
特に身体がコッチコチの私なんて、ぜーぜーしちゃうもんね。筋肉がギリギリします。
で、フラフラしちゃってうまくポージングできません(原因はただの練習不足、ともいう)。

一見すると何の変哲もないようなポーズなんだけど、
うまくポーズをとるためには、細かーい注意が必要です。
例えば、足の小指の外側の皮を地面につけるようにして!とか、
呼吸の時は舌先を上あごにつけて!とか。

でも、アシュタンガヨガの創始者パタビジョイスさんは、そんな細かいこと
一言も言わなかったらしい。とにかく呼吸をしろ、しか言わなかったんだって。
「先生!このポーズがうまくとれません!腕をどう回したらいいですか?」
なんて聞いても、「呼吸をしなさい」 でおわり。

一方、対するアイアンガーヨガ。創始者のアイアンガーさんは、
細かく細かく指示を出すんだって。それこそ、足の小指から頭のてっぺんまで。
どこをどうすればうまくポージングできるか。


たぶんね、どちらも目指す先は同じだと思うんです。そこに至る過程が違う。

アシュタンガの場合は、うまく呼吸をするためにどうしたらいいか、を
自分で練習しながらさぐっていくわけ。
だから、先生たちも自分の成功体験に基づいていろんなアドバイスをする。
人によってバラバラ。時には支離滅裂。でも結局はそれもただのアドバイスであって、
自分でよいやり方を見つけるしかない。

アイアンがーは、たぶん、うまく呼吸をするための成功体験が体系化されていて、
こうすればうまく行くからこうしなさいね、って親切丁寧に教えてくれる。
ずれるとたぶん、直される。でもやり方としては統一されてるし、わかりやすい。


まぁ、一長一短、どっちが向いてるか向いてないかの話ではあるのだけど。
私はこれを聞いて、自分はアシュタンガのが向いてるなって思ったわけ。
で、これって何にしてもあてはまるかも、と思いましたわけです。

目的を達成するための方法って、道って、いろいろあるじゃないですか。
私は、こうやってこうやったらこうなる、じゃなくて、
「楽しく生きなさい」でそれを達成する方法を模索しながら生きてんのよ、きっと。
と自分に言い聞かせる。だから暗中模索したっていいじゃん。

で、この話には続きがあります。
アシュタンガのクラスでは、生徒たちの脱いだ靴がぐっちゃぐちゃなんだって。
そんでもって、アイアンガーのクラスの時は、整理整頓、綺麗なもんらしい。

なんだか・・・切なくなりました。まぁ一長一短・・・だよね?
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by yebypawkawooo | 2008-04-02 19:16 | 日々のこと  

川崎経由して新宿にて思う -岡本太郎美術館

先日、友達と岡本太郎美術館@川崎へ行った。
岡本太郎って、すごい。
作品もそうだけど、私はその思想とか考え方になんだか納得してしまった。
その考え方で、この作品が生まれたんだなぁということが、すとんと落ちた。
ぐさぐさと、今の私に刺さってきた。
あ、今ここに私は来るべくして来たのかもしれないなぁなんて、そんなことを思った。

父と母の部屋(岡本太郎やその父母の年表や活動内容が展示されている)が
一番面白かった、てのは友人と一致した意見。
やっぱり、美術作品とか、映画とかもそうだけど、
その作品が生まれることになった背景、
文化的背景もそうだし、作者の思想とか、家庭環境や生まれ育った歴史とか、
そういうものを知っているのと知らないのとでは、
作品に対する見方が全然異なるのだなぁと思う。

作品自体はそれほど好き!というわけではないのだけれど、
いやいや非常に面白かった。


そののち、私が彼女に合わせたかった人と、
3年前に一度会ったことのある彼女の友人とも合流して、4人でお茶@向ヶ丘遊園。
信頼のおける友人やその知り合いだと、言葉が通じあうのが早い気がする。
前提を確認しあう必要がないかんじ。
彼女に私が伝えたかったこと、が、余計な説明がなくともすんなり嵌っていく感覚。
こういうの、最近多い。
そこに甘んじてしまっては、新しい広がりがなくなり世界が狭まるのでよくない。
というのも一つの意見ではあるけれど、
そこに甘んじてしまう期間っていうのがあってもいいのだと思う。
そして、今はそこに甘んじていたい気分。だし、そういう期間、きっと。

二人と別れ、新宿で彼女と軽く一杯。
40分しか時間がなかったけれど、恋愛観や結婚観について、話し合う。
私は、思ったことを躊躇なく素直に話せる人って、あんまりいない。
そんな中、彼女は特別。遠慮なくためらいなくすらっと話せる。
それは、何をいっても大丈夫だという安心感。
間違ったことを言ったら正してくれるという安心感(押し付けではなく)。
彼女はきっちりとした自分軸を持っている人なので、
そしてそれを私は信用しているので、だからこそ話せるのだと思う。
加えて、たぶんお互いそれぞれのどうしようもなく人間臭い部分も知っているので、
気取る必要がない。それも大きな一因。
依存、とは違う。それぞれがそれぞれの考えを考えとして尊重しつつも、
自分の考えに照らし合わせて、
取り入れるところは取り入れる。相いれないところは相容れない。
そういう、個々に独立しつつも、要所要所で影響し合える感覚。
こういう付き合いができる人って、本当に貴重。

自分を持っている、自分がぶれない、でもそこに固執しているわけではなく柔軟。
そういうところにおいて、私は彼女を尊敬している。
感覚が似ている部分も多々あり。
ちょっと心に引っ掛かっていたことも、話したこと+感想を聞いたことですっきりした。
あ、私ってそもそもそういう人だったじゃんね、って自分でも気づいた。

なんだか最近、周りの人の貴重さが身にしみる。
周りの人に生かされている感覚というか。
あぁ、なんだか私おばあちゃんのようだ。年をとってしまったということか?
もっと、アグレッシブにい(生・行・逝)きたいのだけれど、なぁ。
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by yebypawkawooo | 2008-03-26 00:44 | 日々のこと  

兎と亀と、ヘンリー・ダーガー -「ヘンリー・ダーガー 少女たちの戦いの物語―夢の楽園」展

d0119787_22451760.jpg
 信じられるだろうか。私は、多くの子供と違い、
 いずれ大人になる日のことを考えるのが嫌で仕方なかった。
 大人になりたくなかった。ずっと子供のままでいたかった。
 今私は、年をとった不自由な老人だ。なんてことだ!
 (ヘンリー・ダーガー『The Histry of My Life』)
 



このあいだ、我が会社の部長さんが興味深い話をしてくれた。

兎と亀のハナシ。
兎と亀の話って、そう、あの有名な話。

この話の教訓は、
「ちょっと余裕があるからって怠慢かましたら、負けたとしても自業自得。ちゃんと最後までがんばりましょうね」 と、まぁ一般的にはそんな感じでしょうか。

でも、本当に注目すべきは彼らの目線にあるのだ、と部長さんはおっしゃいます。
兎が見ていたのは、亀。亀が見ていたのは、ゴール。勝敗の差はそこにある。
もしも、亀が兎を見ていたとしたら、休んでる兎をみた亀も
「あーお腹へったし」なんつって草を食べたりなんかしだして、それをみた兎も
「あ、亀も道草してるし本でも読みながら日向ぼっこしまょしょ」なんつって
読書に没頭したりして、いつまでたってもどっちもゴールできなかったかもしれない。

結局、回りがどうとかそんな事は気にするべきではなく、
自分の目指すものに向けて目線をずらさずにいることが、重要なのである。

と、部長さんはおっしゃるのです。


そうかぁ、それを良しとするならば、
私のいるべきところはやはりここじゃないな、と思ってしまった私。
私の目指すところは朧月夜のようにぼんやりとふわっとしていて、
でも月はちゃんとそこにある。
朧気であることや、それをきちんと言語化できないこと
(というよりも言語化してしまうと何かがずれる、嘘になる。風景を切りっとった写真のようだ)
を非とする必要はないのかもしれない。

けれど、もしもそのゴールが、誰にも認識されていなかったとしたら?
兎もいない、たった一人で歩く道だったとしたら?
それはどんな人生なのだろう。


それで、写真の彼、ヘンリー・ダーガーを思い出した。
去年のまだ初夏の頃、品川まで『ヘンリー・ダーガー展』を見に行った。

ヘンリー・ダーガー。
生涯、誰にも気付かれる事なくただひたすら絵を描き、
物語をつむぎ続けた人。
描かれた両性含有の少女達。それは彼の妄想?真実?
芸術性とか、そんな事はよくわからないけれど、
彼の人生を知ってしまうと、これらの絵から
何かある種の感動が喚起される。嘆息してしまう。


孤独の中に生き、妄想の中で埋もれ、それでも日常をこなし、死んでいく。
彼の目指したものは、見ていたものは、なんだったのだろう?
死後こうして日本でも展示されてしまうなんて、ひどく悲しい。
内面をさらけだされていることを、彼は知らずにすんで良かったと思う。

私には、こんな孤独は耐えられない。辛すぎると思う。
でもどこかで憧れているのではないか。

誰にも見えないゴールを目指すのだとしても、
そこに行こうとしている事をアピールする必要がある世の中だ。
誰にも伝わらない事は何も無いことと等しいのだ。
(そうであるならば、彼の人生はいったい何だったと考えるべきなのか?)


そういえば、彼の映画も制作・公開されちゃうんですね。
年をとった不自由な老人であることを嘆いていたのだとすれば、
いったい彼は何になりたかったのだろう?ひたすら子供でいたかったということ?
いずれにしても、こうして、ヘンリー・ダーガーの成したことは世界に認知されていく。
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by yebypawkawooo | 2008-03-06 22:23 | 日々のこと