# by yebypawkawooo | 2009-12-31 14:30 | 日々のこと
文化的活動をしようではありませんか。
というわけで、やってきました、三軒茶屋から東急世田谷線で3駅先の松陰神社前。かつての同僚がこの付近に住んでいたため、何度か足を踏み入れたことがありーの、周りを散歩したこともありーの、けれどそのものズバリ、すぐそこに松陰神社があることにはこの日に至るまで気付きませんでした。そんな私は阿呆です。駅名が右から左。通過するだけ。
思えば、地名・駅名は、きちんと意味のあるものばかり。
三軒茶屋は昔、角屋、田中屋、信楽屋の三軒のお茶屋さんがあったといいますし、渋谷の由来には諸説あれど、渋谷中心部の駅前なんてまさに谷ではないですか(大雨洪水警報時には、渋谷は避けるべし!)。知名・駅名のみにあらず、商品名には、企業の、ブランドの、想いが詰まってます(マーケチームの皆さん、たかが商品1つの名前決めんのに、どんだけ時間かけんだよ!なんて、思ってはいけません、ええ、それもお仕事ですから)。それに、あなたの名前にだって親御さんの願いがきっとこもってます。たかが名前、されど名前、意味を突き詰めていくと、案外知らなかった面白エピソードや感動秘話が隠れてるに違いありません。天下の朝日新聞さんだって、「キミの名は」なんていう社名商品名コラムを連載し、書籍化までされてます。
そう、松陰神社前なんて、考えるまでもなく、松陰神社の前なんです。そして、松陰とは、考えるまでもなく、吉田松陰のことでございます。そこに気付かなかったのは私の脳の怠慢以外の何物でもない。ちょっと見てわかれよ!ですよね。
でもね、私の通っていた高校は、そりゃあ適当万歳な学校でして、江戸時代の中盤までしか習った記憶がないんですよね、決して私が居眠りしていたわけではなく、いや居眠りはしていたけども。だから吉田松陰が何した人かなんて、さっぱりぷーなわけですよ。あれ?吉田松陰って、江戸時代の人?じゃないよね?まぁ、そんなレベルですよ。それでも、なんだか偉い人だったということはわかる。そして、その偉い人をまつった神社らしいということはわかる。でも、それしか分からない。隣を歩く男の子の目はらんらんと輝いてるけれど、私の頭の中では?が渦巻いてます。松陰さんってどんな顔だったけか?浮かんでくるのは、なぜか近藤勇。たぶんこのまえ『燃えよ剣』を読んだから、日本史ってくくりだけで、ごっちゃになってる。失笑してくだすって結構ですよ。
それでも、私は私ですごく楽しい。なぜなら私は神社が好きだからです。何が好きかというと、木が好きなんです。神社の木々は、たいがい樹齢を重ねたおじいちゃんであることが多い、どっしりとしていて安心感がある。なんたって、木が好きで大学では森林専攻していた身ですから。大樹が好きで、家にある『巨樹紀行-最高の瞬間に出会う』(もちろん自ら喜び勇んで購入)を眺めては、うっとりしている身ですから。神社はそれだけで好きなんです。存在そのものが、その空間が。
そして、木がきちんと土に植わっていることがいい。気持ちよさそう。土と緑の香が薫ります。まっとうだなぁと思う。虫の声も、鳥の声もきちんと聞こえてくるんです。これが正しいあり方なんだよなぁと思ってしまう。コンクリート漬けの東京砂漠に埋もれちゃったら、そりゃあ頭もおかしくなるってもんです。もっとさ、神社的空間を増やすべきだと思うですよ。人為的公園とか形ばかりの緑じゃなくてね。一つ一つ単独で生かされた“生”を増やすんではなくて、相互作用によって共存していく多様的な“生”を。生物多様性とか、里山共存とか、そんな難しい話じゃないんじゃないかという気がするんだけどなぁ。
木を見てうっとりしている私とはうらはらに、ふと気づけば、松陰さんのお墓や松下村塾のレプリカ(って言ったら歴史ふぁんに怒られるかな・・・どきどき)の周りには、歴史好きそうな男の子たちがうっとり佇んでいる。あらま、なんで男の子って、こんな風に歴史好きが多いんだろ。もう過ぎ去ったことなのに。面白ポイントを教えてほしい。誰か教えて。
そんなわけで、三軒茶屋のおしゃれイメージとはちょっと異なる、穏やかなお散歩はおしまい。東京には、やっぱりまだまだ隠れたお散歩スポットが隠れているに違いない。探すべし。
♯おまけ。世田谷線路沿いにたたずむ、かわいかった耳かきびと達。